写真と旅日記

写   真 日         記 写    真

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関西空港から10:45発 フィンランド航空でヘルシンキに向けて出発しました。

バルト三国はエストニア・ラトビア・リトアニア合わせても千葉県くらいの人口しかなありません。

面積は日本の半分より狭いです。しかし、日本は3分の2が山地ですから、ただ単に人口蜜密度で比べられませんが、どこまでも続く平地には叶わないと海外へ行くとおもいます。

ヘルシンキに着くとすぐ専用バスでバルト海クルーズをしながらタリンへ出港しました。エーゲ海クルーズに乗ったことがありますが、おもったより大きい船でおおがたフェリーってとこです。約時間の船旅でした。

ここで驚いたのは何ダースものビールをキャリーで運んで降りてくる乗客が何人もいました。後でわかったことですが、物価がフィンランドとエストニアではちがうのです。以前、カナダと接しているアメリカでも同じようなことがありました。

夕食をとってホテルに。

翌日は8時、リガへバスにのること309Km大阪からだと金沢あたりの距離です。途中でサービスエリアでコーヒータイム。まわりの景色も素敵!

 



 

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リガはラトビアの首都です。バルト三国はどこも海に面していてハンザ同盟の歴史もあるためか、国民は何か国語もしゃべれるようです。

「5」の写真は3人兄弟といわれてラトビア建築博物館です。15世紀のリガ最古の石造住宅(右)  17世紀建築のオランダのマリエリスム様式の住宅(中央)  17世紀末建築のバロック様式の住宅(左)です。

「6」ブラックヘッド会館といわれ、未婚の外国商人のギルド(ハンザ同盟)の建物で(青年の同盟??) 1334年に建築されたが第二次世界大戦で破壊されるました。 1999年に再建されました。

「7」聖ペテロ教会  13世紀初頭先住民が木造教会から始まり、後に石造になり、ルター派の教会になりました.

高さ123mの尖塔はリガのランドマークとなっています。

 

ピヨトール大帝も愛した教会です。高さ123mの尖塔はリガのランドマークとなっています。

「8」ツタの葉がとてもきれいでこれは何だろうと思っていたら火薬塔でした。今はラトビア戦争博物館になっています。




 

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「9」リトアニアのカウナスに「シンドラーのリスト」が有名になったとき、日本のシンドラーと注目を集めた「杉原千畝」が

務めた元領事館がありました。「シンドラーのリスト」は映画も本も読んだので日本もシンドラーにも興味を持っていました。

こんなに日本を離れたところでヒットラーの迫害を受け入ていたユダヤ人を救った人がいたことに感動しました。帰国後の杉原の人生は様々な困難があったようです。

「10」夕食は地下のレストランでした。私は海外では美味しいものを食べようとは、いや、食べられるとは思っていません。食のおいしさはやはり日本。日本に帰ったら美味しいものを食べようと思っていますが、この旅行は結構おいしかったです。


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「11」ホテルの窓からの景色。べたいほうかな?、

「12」はリトアニアの 聖アンナ教会1500年にゴシック後期の建物です。トップは炎を形とっタレンガので曲線と直線を複雑に組み合えわせたうつくしい教会です。遠征に来たナポレオンが手のひらに載せて持ち帰れたら」といったことは有名です。


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「12」は聖マリア教会  これは4日の訪れたところで、16世紀後半に建てられたゴシック様式教会。元は貴族の教会で貴族の木彫り紋章が107枚もあり美しく圧巻でした。

 

「14」アレクサンドル・ネフスキー大聖堂。 19世紀末ロシアの支配時代に建設されたロシア正教会です。ロシアでたくさんみかけたトップは玉ねぎ型の教会です。

 

「28」タリンの街はおとぎの国のようでした。


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「[17.18」 トゥライダ城 1214年に築かれ、1950年代に修復された 内部は歴史資料館た公開されています。 

ラトビア中部の町スィグルダにある城。ガウヤ川西岸に位置し塔の中は細い階段があり上まで行くとスィグルダの風景素敵でした。

聖ペテロ&パウロ教会 1668年、ロシアからの解放を記念して建てられたカソリック教会です。外見に似ず内部の美しさに目を見張りました。また、イタリアでたものとあまりに似ているので驚きました。

(雑感) ― 空白を利用して ―

バルト三国は人口の減少にな病んでいるそうです。また、行のフェリーは働く人の帰宅で船も混んでいました。日本と悩みは似ていると感じました。日本でも人口は減少傾向です。またはたたく形態もバルト三国は働く場を求めてヘルシンキなどへいくようです。そして、金曜の夜は家族のもとへ・・。家族がありながら、家族と離れて生活するってなんなんだろう??って思ってしましました。


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最後はヘルシンキまで大型フェリーで戻りました。翌日朝食を済ませると2時までフリータイム。電車の乗るところで切符の買い方を聞いて・・。さて、ともっているとみなさんヘルシンキ市内まで行かれるので私たちも行動を共にしました。 ホテルでだいたい行き場所は決めていたので 「20」 ヘルシンキ大聖堂  「21」ウスペンスキー教会 「22」ロックチャーチに行きました。

ヘルシンキ大聖堂は1917年フィンランド独立までニコラウス教会と呼ばれていましたが、これ以降今の名前になりヘルシンキの一番大きい聖堂として観光のスポットにもなっているようです。ウスペンスキー教会「ロシアでよく見た教会だ」と思ってガイドブックを見ると、やはりろしあ人が1862-1868年に建てた教会でした。ロックチャーチ、外からはなかなか見つからず、何回は通行人に尋ねました。外見は小高い岩山?って感じで中に入るとこんな具合でした、岩をくりぬいて作ったまさに、ロックチャーチでした。エコー抜群の教会で、誰かが手を打つと館内に響いていました。

美術館も行きたかったけれど時間がなく、ランチをとって元の駅で地下鉄でホテルに行きました。駅のホームの着くと私は右側の列車に乗ろうとしました。友達は「左だよ!」と言う。「え!左から来たから右に乗るんだよ。」「違うよ!反対よ!」近くにいた人に聞くと、私の間違いでした。私一人なら、疑いもなく反対の列車に乗り、みんなとかえってこれなかったかも??

私の方向音痴には自分でもあきれます。それにしてもヘルシンキの人も旅行者に親切で安心して尋ねられました。一緒に行ったツアーの人たちも一期一会の出合いだすが、いろいろ話して楽しかったです。80歳近くの女友達二人で参加されてる人もいました。お二人ともとても元気で行動的でした。私は75歳がタイムリミットかな??ともっていたけれど私も80まで行けるかしら?? 経済が問題だけど・・。


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