韓国 旅日記

 

写   真 日         記 写    真

9/29


関西空港から12:35発 ピーチで韓国 仁川空港に向けて出発しました。

韓国は2度目の旅行でした

今回はServasのアジア会議が韓国で開かれるのでそれに参加しました。

私は 一昨年オーストリア等に一緒に旅行した高田さんと参加しました。

彼女とは仁川空港で待ち合わせました。

最初の滞在先であるソウルにある Mr.Hurさんの家へ二人で行きました。

夕方は Mr.Hurさんの奥さんとプレミーティングへ行きました。


 

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ソウルから扶余まで250Kmくらいの距離をバス2台に分乗し観光しながら移動しました。この間の食事、おやつ、水など手提げなどの小物も頂きました。

韓国は国民の国際交流に補助を出しておられて財政的にも豊かなプログラムが組まれていました。また、若い会員も多くて活気のあるサーバスでした。日本のサーバスではこのようなもてなしは出来ないと思いました

観光の最初は宗廟へ行きました。宗廟は朝鮮王朝の歴代の王と王妃が祭られているところでした。

次はサムソン ミュ―ジアム。ハイテクを駆逐して作られたコマーシャルセンターといった感じですが、プレゼンテーションには驚きました。

最後は水原華城。朝鮮時代後期に作られ、防衛を目的に作られて城壁などの見学をしました。中国、韓国、朝鮮と文化の流れをいたるところで感じました。

宿舎は扶余のあるユースホステルで5人部屋でした。丁度、子どもの林間学舎といった感じでした。

この会議で3年前に初めて韓国に行ったとき最初に泊めていただいたLee夫妻にあえてうれしかったです。Mr,Leeが李王朝の子孫だとは知らず・・。私の家にも来たMrss,YoungsoonやMr,Baeにも会えてうれしかった! ことの今度は日本でお会いしたいです。


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午前中は各国の報告、交流があり、次回は何処でアジア会議を開くかが議論されました。

午後は扶余の観光がありました。

定林寺址・・・百済の仏教文化今は仏教徒よりキリスト教徒が多いといいます。日本も同じ流れの仏教国なのに、なぜそうなったのか興味がそそられました。

夜は韓国の音楽やコント、演歌もあり、こぶしの効いたとてもうまかった!

ここでも各国の出し物もあったが、昼の観光もあり、少々つかれた。

 

 




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扶余2日目は午前中、扶余の観光。午後は安東へ行きました。

扶蘇山と落花岩・・百済遺跡が多く日本と百済の興味深い遺跡があり、日本との深いつながりを感じた。大和の支援も功をそうさず、新羅と唐の軍に追い詰められた女性たちは死を選びここから花が散るようにハラハラと海に飛び込んだという。

沖縄のひめゆりの塔を思い出し、何処の国にも悲しい歴史のあることを感じた。

白馬江クルーズではちょっと船に乗り、ゴラン寺にいった。ここでは一杯湧き水を飲むと3年若返り、2杯飲むと6歳・・。そんな話が日本にもあったけれど元の話はここなのかしら??

お昼のランチとお水、おやつをいただいて、私たちは憧れの安東へ。

会議に参加されていたKimさんが自宅テグに帰るのに大回りして安東のホテル、北村宅まで送っていただきました。車で3時間ほどかかりました。感謝でした。

安東の河回村は日本の白川郷に似た古民家です。

韓国の氏族村は朝鮮時代(1392〜1910)初期に形成し始め、朝鮮後期には全体の村の中で約80%を占めるようになったという。韓国では現存するもっとも大きい氏村で私たちが泊まっ北村宅の主は9代目と言っておられた。

土塀と古民家がマッチしていてとても落ち着いたとこどだった。

 


 

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朝のうちに河回村を散策して、ゆっくりした朝食の後はテジョンに移動しました。シャトルバス-長距離バス-地下鉄ーバスと乗り継いで次のホスト宅へ向かった。

電車とバスの乗り継ぎが離れていて、私たちの聞きまくり旅だった。

英語が通じなかったり、モタモタしていると、お手伝いしましようかと日本語で話しかけてくれる親切な人がいました。この方がバス乗り場まで7分程度あるところを案内していただき、バスの運転手に行き先を確かめてくださいました。お名前も聞けず十分感謝の意が伝えられず心残りでした。

またこの後、地下鉄乗り場もわからずモタモタしていると今度は英語でお手伝いしましょうか?と声をかけてくださった若い女性がいました。この方はテジョンは初めてなのに周りの人に聞きながら乗り場まで案内下くださいました。韓国の人は親切!!とまた感激でした。どうにかホストの近くまでたどり着き駅へ迎えに来てくれました。

彼女の家に着き、彼女のマンションでちょっと休憩して、カントリーサイドの彼女のセカンドハウスへ行きました。ここで2泊しました。

夕食は旦那さんが焼き肉をしてくだった。ほかにもいくつかおかずがあって・・ワインで乾杯!! おいしかった。



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朝起きると雨上がりで、あたり一面霧! 早速カメラを持って家の周りを歩きました。連日の日程でそれほど早くは起きれなった。

すぐ裏が小高い山で栗がいっぱい落ちていた。二人でとって家に帰ると、ホストは栗は持ち主がいるからとってはいけなと言われた。「取ったのでなくて、拾うったよ。」と言ったけど・・・。後は大笑い。

昼近く車で奥さんと3人で韓国のお寺に行った。観光地らしく出店や食べ物やもいっぱいあった。韓国の寺は岩絵の具で色が鮮やかですねと言ったら、近頃は化学染料の絵の具だと言われた。

この後、百済時代の王や王族が眠る公州(コンジュ)にある古墳群へ案内していただきました。高速道路で1時間ぐらいはかかったと思います。

古墳の内部は日本は石室になっているのが多いようですが、こちらは焼き煉瓦で文化、技術が高かったことが感じられました。展示の仕方もわかり易くきれいでした。

夕食は高速道路のサービスエリアで食べた。もうあっさりしたのがほしくで、私はラーメンをたべた。ともだちはビビンバを食べた。ラーメンまでからかった!! こんなはずじゃなかった!!でも、おにぎりがついていたので助かった!


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午前中はそろそろ土産を買いに行きたいと思い、彼女にスーパーに連れて行ってもらう。やっと、韓国のお金になれたころでお土産も考えてかった。やはり韓国は安い。最後の家のお土産も買って、最後のホストの家に彼女に送ってもらいました。

最後のホストは私たち安東に行く2日にはまだ決まってなかったのです。なければホテルをさがそうと思っていました。安東から帰ってくると彼女が「ホスト決まったよ。」と言ってくれました。彼女がさがしてくれたのでした。二人で喜びました。!!

最後の彼は、幸せな家庭を持っておられたけれど、奥さんが旅立たれて半年という中で私たちを受け入れて頂きました。

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朝食は私たちは一杯食べた。彼は朝食はいつもリッチに食べるんだと言っていた。

朝食の後。仁川空港へ向かう長距離バス乗り場まで彼が送ってくれました。

高田さんは成田へ 私は 4:45関空着で 帰ってきました。

トラベルはトラブルから来てると高田さんは言ってたけれど、今回は、いや、今回だけはトラブルなく、スムーズにいった旅行だった。

いつも旅行を終えて感じるのですが、今回もいっぱいの人に教えてもらい、助けてもらった旅でした。心に残る韓国の人々の温かさに感謝しています。

 

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ENGLIsH